最近KOHHにハマっている
すっかり音楽を聴かなくなって久しかったのだが、最近になって一日の大半を音楽をかけて過ごしている。
理由は、Apple Musicである。ある晩、ふと登録してみたら、ついつい朝方くらいまで昔好きだったアルバムを片っ端から登録してしまって、それからずっとパソコンで流しっぱなしである。
最初の頃は、Frank Zappaや90年代のトリップホップ(なつい)やパンクの名盤みたいな、自分の好きな辺りの古い曲をセレクトして、リストで延々と回していたのだけど、だんだん最近の音楽が気になってきた。
そんなときに、ちょうど宇多田ヒカルの新しいアルバムのニュースが来て、そこでコラボしていたKOHHというラッパーの曲を検索して聴いてみて、びっくらこいた。
メチャクチャ格好いいのである。
そして思わずツイッターでこんなことをつぶやいたら、あとで方々から怒られた。
日本人のラッパーって、高学歴の客を相手にダジャレを早口している集団なんでしょ、という大変に偏見にまみれたイメージしかなかったので、衝撃。
— 稲葉ほたて (@jamais_vu) 2016年9月22日
でも、そういう印象持ってる人、多くないっすか?
……というのは、さておき、このKOHHが「格好いい」のは、日常との地続き感だと思う。言葉にウザい気負いもないし、上に書いたような思わず笑ってしまうような地口もなくて、何というか、凄く自然体に演出されている。喋ってる内容も、素直に今自分が感じていることを吐露していて、それがとても清々しい。
もちろん、この辺は昔からのファンの人に聞くと、裏にいるプロデューサーが「そもそも本場のHIPHOPってそんなもんだぞ」と指導した結果の面もあるらしいし、Twitterのアカウント運営なんかを見ていると、海外のミュージシャンと遊んで回るようなコラボを仕掛けてたりして、非常にクレバーな戦略が背後にあるのも感じる。が、そもそも「見られる」ことへの意識が、これだけ普及した時代に、ソーシャル上でその程度の演技をする強かさもないというのは、さすがにダサかろう。
自分としては、こういう素直に格好いいと思える、日本のミュージシャンが登場して、iTunes・YouTube以降の海外のグローバルな音楽市場で成功を収めているというのは、なんだか「希望」を覚える。近々、日本のエンタメ産業は、国内のみの市場では現在の規模感を維持できなくなる地点を迎えるのは疑いない。その中で、日本語ラップのようなガラパゴスな文脈をぶった切って、グローバルポップの市場へと接続することを決断し、そして成功を収めている彼のようなクリエイターの存在は、非常に重要なロールモデルになっていくはずだ。